ベソブログ

日本人として本当に知って欲しい事、考えて欲しい事を伝えるブログ 歴史・政治・思想・音楽・芸術・文学・教育・経済・・・ジャンルなんて関係なし。作家BESOが日々感じ、考える日本人に伝えたい事を伝える。やってるかやってないかはバイブス次第

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因果応報

原因と結果。その二つの関係は切っても切り離せない。二つの見方がある。元になる原因が結果を引き起こす。逆に思いもよらなかった結果に原因を考えさせられる。卵が先なのか鳥が先なのかわからないのと一緒で原因が先なのか結果が先なのかわからない時もよくある。

なんにしろ大事なのはその原因と結果をしっかり受け止めて考えるという事。

最近CMで話題になっている「結果にコミット」という言葉。もちろん大事な考え方である。コミットとは約束するとか委託するという意味。信頼という概念もあり仕事なり物事がちゃんと行く様にするという事。

ここで大事なのは結果だけにとらわれないという事。結果だけに意識が集中すると本来の目的を見失う事がある。本来痩せたいという思いがある。その思いこそが一番大切であり、その気持ちを強く持ち続ける事によって結果として痩せる事になる。痩せ方も大事だが、なんで痩せたいのかという原因や理由が大事である。

スポーツ選手はよくこの原因と結果を日常的に考え慣れている。例えば野球選手。結果として三振してしまったとしよう。この結果に対して考えた時必ず原因や理由を考える。次の打席に三振しないためには何を改善しなければならないのか?バットを出す角度が悪かったのか、体調が悪かったのか、そもそもバットが細かったのか。あるいは相手のピッチャーの変化球が思ったより曲がったのか。

人生も同じことが言える。なぜ太ってしまったのか、なぜクビになったのか、なぜフラれてしまったのか。これらは悪い結果として現れるため原因をよく考えるだろう。あの時間にケーキを食べたのがダメだった。遅刻しすぎたのがダメだった。ドタキャンしてしまったのがダメだった。

その結果に対して考えても今更変わる事はない。太ってしまった体重はその時点では勝手に減ってくれない。クビになったのに明日会社に行けるわけではない。逆に大事なのはよりよくするためにそこから行動を変えないといけない。食べる時間を考えるか、遅刻しないようにするか、約束を守るようにするか。その結果として痩せたり、会社に復帰したり再就職が決まったり。

ここまではよくある普通の結果に対しての原因の話。今度は偶然や普段の何気ない結果に対しての原因を考える。因果応報の部分。世の中には60億人の人がいると言われている。日本人だけでも1億5千万人ぐらいの人がいると。そんな中今日出会う人というのはものすごい確率である。さらに恋人として付き合ったり、そもそも家族として生活するという事はものすごい事である。

様々な環境や要因の中で今の自分が存在している。自分が今生活をしているというのも結果の一つである。日本人として生まれ、日本語を喋り、企業に所属したり学校へ通ったり。その原因について深く考えた事はあるだろうか?そこには宇宙を取り巻いた因果応報があると言われている。

人はそれぞれ興味のある事も違う。経験したきた物も環境も違う。その結果が今につながっている。そう考えるとなぜその家族に生まれたかというのに原因はないのだろうか?この流れでいくと必ずある。親と先輩は選べないと言うが、すでに原因から選ばれているのではないかと思う。では何の結果かというと前世ではないかと思う。また来世への原因となるべく生まれてるのではないかと。

輪廻転生という概念から言うと人生は続く。そのただの一つの人生として考えれば今は過去という原因の結果で未来という結果の原因になる。だから、いい行いをすればいい行いがこれから自分に巻き起こる。それが今の人生なのか次の人生か何百年後かはわからない。生活習慣を変えると3ヶ月後には結果にである。しかし結果の分かりにくい普段の行動はいつその結果が出るかはわからない。そのわからない結果を必死で考えても時間の無駄である。大事なのは原因や理由を深く考え自分が正しいと思えることを愛を持って取り組む事である。

通りがかりのおあばちゃんの荷物を持ってあげる。そのおばあちゃんが辛くないようにという思いから行った結果。それが原因となり次の結果を招く。そんな感じで全ての物事は原因と結果を元に因果応報の仕組みの中に永遠にループする。

得をしたい。という結果ばかりを求めていても何もはじまらない。そのループが生まれないのである。始まりは愛のある、誰かのために何かをしたいという気持ち。もちろんそれが自分自身でもいい。そこに愛があれば。自己愛も一つの愛で、自分を愛せない人に人は愛せないというのも事実。

逆に憎しみ、恐怖のループというのも存在する。誰かが憎くて奪う、傷つける。それに対しての報復を受ける。また報復する。また報復される。このループを断ち切るには許すという愛しかない。自分が損するかもしれない。でも許すという犠牲がないと終わらない。

戦争は報復しか生まれない。日本が唯一の原爆の被害国でもあるのに原爆を持たないという国と表明したことはすばらしい愛であると思う。のに、原発はたくさんあったり、裏で何の研究をしてるのかというのは疑わしいけど。。。

考えすぎはよくない。けど今、自分を取り巻くふとした出会いや現象の因果を見つめ直して欲しい。逆にこういう出会いや出来事が起きて欲しいと強く願えばそれが結果として起きる。世の中は想念が結果として起きる3次元であるからである。

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色即是空

「色即是空」。色すなわちこれ空。逆に「空即是色」もある。

仏教の大きな教えの一つ。仏教も歴史が長くいろんな解釈がされてるが有名な般若心経にでてくる考え方。

色とは物質の事で、目に見える物事。また欲望の事。

空とはからの状態。無であるという事。何も無いという事。

つまり色即是空は、見に見える全ての物事や欲望は何も無い無の状態である。という教え。すぐに「???」となる。それもそのはず。実際に目に見えて手に触れられて、匂いもする。それのどこが「無」なんやと??

そこには色という言葉が非常にナイスチョイスされてる考え方が説明としてある。「色」という文字通り目に見えるものには色が付いている。逆に目に見えないものには色が無い。じゃー空気や水はどうなるかというと色はないけど実際触れられるし感じる事が出来る。空気や水は限りなく空に近い存在。

科学で言うところの原子。全ての物質には原子がある。原子は小さすぎて目に見えない。これこそが「空」そのものと言ってもいい。空気も酸素や二酸化炭素や窒素などが集まってできてる。その元はO2やCO2などの元素が集まってる。元素の元になってるのが原子。科学が嫌いな人にはわかりにくい話。でも何かの「物」にはその構成してる元に元素があってその元素の元に原子があると言うこと。

原爆というものがある。これは原子を研究して原子の持つパワーを兵器にしたもの。神の兵器とも呼ばれていて、原子こそが「空」であり神であるという考えもある。ちなみに現代の科学でも原子に関しての研究はまだまだ発展途上。これがどんどん研究されていろいろな最新技術が生まれているのが現代。

つまり目に見える物質(色)の元は全て原子(空)であるというのがこの話の本筋。その原子が集まって形となり色を持つ。形を持つものは全ていずれ無くなる。諸行無常と言われいつか「色」褪せてしまう。

真理という言葉がある。本当の、永遠に変わらないであろう考え方の事。そういう意味で言うと諸行無常は真理。太陽が東から昇り西に沈む(北半球で)というのは真理ではない。なぜなら色のある太陽も色であっていずれ無くなるものであるからである。山も川も海も地球も星も宇宙ももちろん今生きている人間もいずれ無くなる。これが真理であると考えられてる。

しかし、空は無限であると言われている。なぜなら無いからである。限りが無いと書いて無限。無い状態のものに限りは無く、褪せる色も朽ちる形も無い。アインシュタインという原子の存在に限りなく近づいた人物がいた。その人物の肉体は当然「色」を持った物質で寿命とともにこの世を去ってしまった。しかし、その残した功績や考え方は今でも色褪せることなく今でも有る。もちろん忘れ去られてしまう可能性もあり何百年、何千年という時が経てば誰も知らないかもしれない。しかし、存在したという事実は消えない。たとえ誰も知らなくても。これこそが「空」であるという事。

人によって同じものが別の物に見える事がある。また言葉が違う国によっては言葉も変わる。これは物質をそういうものであると決めているからである。これは生活便利にするためのもので、現代の世の中では常識である。では、人によって見えるものと見えないものが出てきた場合はどうしよう。半分の人は見える。半分の人は見えない。本当は全く問題無い話である。

なぜなら目に見える全てのものは「色」のついた物質であり、無限では無いいずれ朽ち果てるものである。真理では無く、本当にあるものでなく今そこにあるだけのものである。言い換えると幻でもあるとも言われている。でも逆に当然今そこにあるものには意味があり、命があるからそこに形として存在出来ているから目に見える。命である原子がそこには宿りその形としての使命や生命を全うするために存在している。

つまり大事なのはそこにある物質に対して本質である中身を考える事が大事であるということ。いずれ朽ち果てるそれが何のために自分の人生に現れ、自分の人生を彩っているのかということ。逆に自分という人生の色を知り、本質である魂を見つめ直すために目に見える物や人から学ぶという事。

色即是空から考える物質世界と精神世界。ひいては西洋と東洋。裏と表でありどちらが善いでもなくどちらが悪いでもない。物、それは幻であり今そこにあるだでいずれ無くなるもの。それにしがみつくと無駄な支配欲や物欲が生まれ、本当の魂が求める何かを見失ってしまう。この世に善も悪も無く、ただ無が有を産み、有には無が宿っているという繰り返し。それにたどり着いた人だけが悟りを開けるという仏教の一つの教え。この考え方が全てでは無いし、合わせる必要も無い。ただ自分が幸せに生きるための一つの考え方やツールとして知っておいて欲しいだけ。。

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