ベソブログ

日本人として本当に知って欲しい事、考えて欲しい事を伝えるブログ 歴史・政治・思想・音楽・芸術・文学・教育・経済・・・ジャンルなんて関係なし。作家BESOが日々感じ、考える日本人に伝えたい事を伝える。やってるかやってないかはバイブス次第

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旅に出よ、再会せよ



因果応報。人が行動するには必ず理由がある。理由の後を結果が追いかけ、結果には原因が付きまとう。

理由なき反抗ですら理由がある。人を愛し、世を憎む。何かと何かが存在するとそこには関係が生まれる。木と火。火と土。土と金。金と水。水と木。出口の無いサーキット。何周ラップを繰り返せば無に帰るのかはわからないが、ただただ車とドライバーは走り続ける。

今回は日本を訪れたアレックスとポーリーンの話。

東へ進んだ果てにたどり着いたのか、菊の花の香りに導かれたのか。それぞれストーリーも背景も違う。が、どうやら理由もなく日本を訪れたという事では無いらしい。

アレックスは言った。「子どもの頃母親に言ったんだよ。俺は大きくなったら日本に行くよ!って。」「なぜ日本に行くの?」「わかんないんだけど、でも行くんだ。」「不思議な子だね」と母親の疑問に明確な答えを差し出す事なく、ついに大きくなったアレックスは日本へたどり着いた。遥か遠くアイルランドからはるばる自転車で。彼を乗せた二つの車輪はゆっくりと、時にその回転を止めながらヨーロッパとアジアの広大な地を無事に横断させた。2年を費やした。

ポーリーンは言った。「仏教と神道の違いは何?」「神道にも輪廻転生はあるの?」スイスという大きな国に囲まれ大きな文化が複雑に入り混じる国。一つの島国が一つの国として存在し続ける国。一見相反する国から国へとその身を預けた。

世界言語と化した英語。この言葉の力はすごい物なのかもしれない。その背後には数かぎりない侵略や虐殺があっただろう。繁栄したたった一つの言語という文化の裏には絶滅した多くの言語という財産が地球上から姿を消したかもしれない。

アイルランド人と日本人。スイス人と日本人。住む場所も文化も価値観も宗教観も感性も。何一つとっても同じでは無い。同じなのは出会った時と場所だけ。そして人間の心を持った同じ人間という事だけ。

書を捨てよ、旅に出よ。作家・寺山修司は自分の書いた書のタイトルにまでしてしまった。もちろん書は人に多くを与える。しかし、それよりも多くのものを旅が与えてくれると。知識と体験。百聞は一見に如かず。与えてくれる多くの内、一番わかりやすくも一番不思議なものが人との出会いかもしれない。

自分からお金や時間や安全を奪う人にも出会うだろう。だが、自分に知識や体験や感性を新たに与えてくれる人にも出会うだろう。そこでまた気付き、ふと我に帰る。その土地を訪れた理由を教えられまた次の生活に向けた原動力となる。つまり理由となる。そしてその新たな理由が新たな結果を生み、原因に気付く。

こうして自分とは何者なのか、人生とは何なのかを一つ一つ確認していくのかもしれない。内面に秘められた全てを知り尽くすことの無い自分。永遠に分かり合うことのできない他人。常に同じでは留まることの無い全て。そんな解の無い無限数式の公式の有用性を試行錯誤してくのかもしれない。

旅をする者も多くを与えられるが、出会った側もまた多くを与えられる。行ったことの無い土地の話を聞き、文化を知り、感性を共感する。ほめ合い、また首をかしげ合う。しかし旅には別れが付き物。旅に限らず全ての出来事物事には別れが影のように付きまとう。そしてもっと一緒にいたいと思う叶わ無い願いの代わりに、出会わせてくれた目に見え無い何かに感謝を残しながらそれぞれの道へまた進んでいく。常に横にいる必要は無いのかもしれ無い。

母親から生まれへその緒が切れた時から一人になる。周りに育てられ、周りに看取られながら、一人で死ぬ。しかし、その死ぬ間際人生を思い返すと多くの思いがそこには在る。

なぜ旅に出るのか。答えは出てみないとわからないのかもしれない。ただ一つ言えるのは、必ず誰かに出会うということ。それが良縁か凶縁かは知らない。ただ出会い、ただ感じ合い、そして別れる。また出会う日を待ち焦がれて。

旅に出よ、再会せよ。

PS
旅へ出る親愛なる友人へ。
その勇気に敬意を表し、豊かで実りある出会いを願う。得難い経験を元にまた新たなステージで多くを表現する日を心待ちにしながら旅運を祈る。

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ネパール vol.2

ドゥラブは日本語学校を経営していた。ネパールの若者は海外に留学するという選択肢が意外に身近なようである。もちろんみんなが行けるわけではなく経済的に平均以上の家庭のものだけだが。そして日本は人気が高いらしい。英語が第二公用語なので英語圏への留学も多いが、わざわざ日本語を勉強して日本に行きたいという若者が多いらしい。

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日本では留学生もバイトができるというのも、お金を稼ぎたい若者を駆り立たせる理由の一つかもしれない。その教室にお邪魔させてもらった。まさかだったが、尊敬語・謙譲語の授業をしていた
。しかもまだ通い始めて2、3ヶ月だと言う。日本語検定というものがあり、それに出るため必然的にやならければならないらしいが、それでも難しい表現だと思った。日本人の自分でも少し「はっ、」となるような問題である。

しかし、彼らの純粋な気持ちに嬉しさがあった。ネパールは親日な国であると思う。その国の若者たちが自分の生まれ育った国に訪れたいと、大学に通いながら日本語学校に通っている。真剣に学ぶ姿が自分の国の文化や国そのものを褒めてくれているようだった。

だが、ドゥラブは少し憂いてもいた。今の若い者たちは出稼ぎの感覚で海外へ行ってしまう。もちろん海外で稼いでネパールへ送ればそのお金は大きい。だが、ネパールという国を考えた時、本当に大切なのは技術であり生産力である。若いうちに、しっかり学べるうちに、日本の技術をしっかり学び、それを持って帰ることを一番望んでいる。しかし、彼らはやはり今を生きる今のお金が大事なのだ。若者と親父の意見の違い。もちろん若者の気持ちもわかる。だが、もう少し広い視野でこれからのネパールのことも頭に入れて欲しいと。

日本でも同じことが言えると思った。もちろん環境や現状は大きく違う。日本の場合留学する必要は無いといってもいいほど日本国内で様々な勉強ができる。それがかえって若者を平和ボケさせているのかもしれない。教育の制度が悪いのはもちろんだが、それに甘んじる親の教育もあるかもしれない。あるいは自分の人生を、自分の国のことを考える機会が少なすぎるという環境のせいかもしれない。

なんにしろ、このままでは日本という国の質が変わってしまう。もちろん国にしろ人にしろ諸行無常である。しかし、伝統は守り抜き、新しい技術と融合していかなければならない。それが得意なのが日本人であると思う。だが、今のままでは新しい技術や物質に支配され、大切にしてきた伝統や精神世界の深さがなくなりつつあるのでは無いかと憂いている人も多い。親父のぼやきとあしらう気持ちもわかるが、一度真剣に考えてみて欲しい。

今日本では何が起きていて、世界では何が起きていて、その中で自分は何を考え、何をしていくべきなのか。そんなことは考えなくても時間は過ぎる。考えたところで変えられる事は無いに等しいかもしれ無い。むしろ考えるだけ時間の無駄かもしれ無い。考えようが考えまいが自分と自分の家族の生活が一番大切である。それはいうまでもなく真理である。

しかし、一人一人がすこしでもそれを考える事が全体の歯車をかみ合わせる潤滑油になると思う。少しでいいと思う。ほんのひとかけらでもいいと思う。親父のぼやきを、なぜ親父はそう言うのだろうと一度理由を考えるだけでいいと思う。もしそれが自分の中に響けばその先のやるべき事に続けばいいと思う。

インド・ネパールに行って改めて日本という国を知った気がした。高水準で平均年収も高い。皆が一定以上の暮らしを送りやすい国。そのせいで平和ボケもある。今一度自分のライフスタイル、思考を考え直す時だと思い知らされた。

ネパール vol.1

一見カトマンズの町並みはインドのミニチュアかと思った。横の国なので外観はやはり似ている。ヒンドィーと仏教徒の多い街。しかし明らかに人柄は違った。所変われば品変わる。インドよりも発展途上国。もちろん観光客を狙うハイエナは空港に群がる。

一路、カトマンズはタメルに向かう。観光客で賑わうこの街にはさまざまな人がいる。楽器売りがいた。ウクレレの様なもの弾きながら聞いてくれと歩み寄ってくる。もちろんリキシャやトゥクトゥクもいた。西欧人もいた。グラムいくらでどうだ?と言う奴もいた。インドの様な狂騒感はあまり感じない。どこかにゆとりが潜んでいるようだった。都市部ではあるが、ヒマラヤの近さがあるからなのかもしれない。

ヒマラヤ山脈のふもとの高地に住む民族がいる。その民族もネパール人である。その部族の人達は生まれ育った場所のせいか高山病にかからず、また肺活量も平地の人とはそもそもが違うらしい。ゆえにエベレスト登頂10数回という人間が平気でいるらしい。

その街とカトマンズの間にはまた山が現れる。もちろんエベレストほどではない。が、低くもない。そしてその山々の盆地に当たる部分にカトマンズが広がる。

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このカトマンズに舞台を移してからもやはり役者は現れ続ける。まるで俺が来ることを待っていたかのように。インドのミーナから紹介してもらったヒロ。ヒロはドゥラブを連れて俺を迎えに来てくれた。

ヒロは日本人。ひょんな事からこのアジアの歴史と文化と精神に魅了され、この国に住むように導かれた。ヒマラヤには人を呼ぶ力がやはりあるのだろうか?
ドゥラブはネパール人。日本には来た事がないが、日本語はかなりのもの。そしてヒンディーとしてネパールやヒマラヤの歴史を深く勉強していた。その深い知識を日本語で教えてくれた。これこそまさにこの地を訪れた大きな目的の一つだった。まさかこんな形で教えてもらえるとは思いもしなかった。

ネパール・インド・中国・チベットの話。日本ではなかなか聞けない話。それを現地の人の言葉を日本語で聴けるという幸運。もちろん一日二日で全てを聞く事は出来なかったが大筋の話は聞けた。カトマンズという街ができた神話や名前の由来も聞けた。あと、ネパールには宗教間の対立が少ない。実際訪れたモンキーテンプルと呼ばれる猿が多くいる伝統的なお寺では、仏教のお寺なのに中にヒンドゥーの建物もある。そしてお互いの宗教の人が無視する事なく両方にお参りする。日本も神仏融合という他宗教との融合があるが、ネパールも似たところがあった。

多くの部族が集まってできた国ネパール。今でもその部族という色合いは残っていて、公用語はネパール語だが、部族ごとの言葉というのも残っている。その数も10や20ではない。それぞれも部族の言葉は似ているとは言え違うため全ては理解できないらしい。

興味深い部族にグルカ族という部族がいる。19世紀頭にイギリス東インド会社はネパールにも及び領土を奪おうと戦争が勃発する。しかし山々に囲まれた地ではやはり地を理解している現地の部族が有利である。それに加え、格別に強い部族がいた。それがグルカ族。山々で育まれた強靭な肉体と伝統として受け継がれる戦闘技能。ククリ刀と呼ばれる刀を好み、刀術にも優れる。侵略出来なかった理由になるほどの存在であったとイギリスも認めた。認めたあと、何をしたかというと、雇ったのである。その強さをぜひ借りたいとお金を払い傭兵として雇った。今でも存在するグルカ族は今ではグルカ兵と呼ばれ、イギリスのみならずインド・フランスなどの傭兵ともなっているようだ。まさに戦闘集団である。厳密には純粋なグルカ民族だけ血統ではないようだがそのメインはグルカの地をひく者が多いようだ。

とにかくネパールではインドとは一味違う東洋の歴史というものを身に感じた。先ほどのモンキーテンプルはカトマンズを作ったと言われる文殊菩薩を祀っている。その昔湖だったカトマンズに一箇所だけ蓮の花が咲いていた。それがこのお寺のあるところでちょうど丘になっていた。そして菩薩はこの地が綺麗であることを悟り、盆地の東南に水の流れ道を作り湖を盆地に仕上げた。現在でもその川の名残がある。

インド vol.4

朝日と共に目覚める。昇るその光を見たかったが山あいの谷にある街のため地平線からご来光をみることは叶わなかった。しかし、その始まりの空気を感じようと朝からガンガーのそばに一日を始める人が多くいた。とりあえずぐるっと一回り歩く。リシケシという街を歩く。自然と共に生きる街という表現がこれほどまでにぴったりと合う街もそう他にない気がする。牛や馬は当然ながら、サルやロバなども自然にいる。もちろんデリーなどの都市部にもいるが、山に生きる彼らの横に人間もいるという形。

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ニルバーナヨガというヨガを学ぶ。ニルバーナとは日本語で言う涅槃。悟りの境地にたどり着く。人間には限りない欲望がとめどなく溢れる。その欲望を捨て去り今世を無に生きる。生きるとは無であり、無とは生である。というような矛盾を目指す話。

ヨガのポーズといえばすごいポーズを思い描く。しかしそれはあくまでもいろいろな形を追い求め続けた結果。本質的にはその個人個人が自分自身と向き合うためであるためこのポーズがいいというものは無い。自分の体が求めるポーズを追い求めるのがヨガである。その自分が求めるものを感じることができるように講師が一つ一つを教えてくれる。ゆえに最終的な講師は自分自身である。

ビギナークラスとして初歩の基本を学んだ。簡単なポーズと呼吸法。思考から欲望を流しだす方法を教わる。過激なポーズなどはあくまでもその基本の延長。大事なのは自分の中にあると。そしてまわりの自然や人、地球や宇宙と調和するということ。人間とは地球に生きるただの一生物である。その存在を認識し人生を歩む。

ご飯を食べる。異国でのご飯もまた新鮮である。また出会いもあった。客引きの若い男に導かれレストランへ。そこでその客引きのソルティーとまたいろいろな話をする。21歳の彼は言った。「明日死ぬかもしれないんだぜ。やりたいことを今しておかないといつするんだよ」。夢はあるのかと聞くと「俺もいつかこんなレストランをやりたいんだ」「場所はここではなく生まれ育ったここに似た自然の溢れる街で」。たばこや煙をふかし、ガンガーと山を眺める。ここで一つのヒンドゥー語を教わった。「シャンティー」という幸せな言葉。「ゆっくりと落ちついて」「気楽にいこうよ大丈夫だから」というような意味である。いろいろなことを心配に思い大丈夫かと問いかかる俺に彼は繰り返し「シャンティー、シャンティー、シャンティー」と言った。

宿に戻るとオーナーである講師は自身でヨガをしていた。しかも俺に教えてくれた基本のポーズを繰り返して。基本が大事という言葉を何気ない瞬間に言葉でなく行動で見してくれた。うれしかった。彼の言葉に嘘は何も無かった。沈黙は金であった。

夜になると多くの人はやることを終える。店も閉まり始めご飯屋だけが灯りを灯す。またソルティーの元へ向かう。するとまた別のインド人を呼んでくれたいた。仲良くなった日本人がいるから一緒に飯を食おうと。そこでまたいろんな話が入り乱れる。人生の生きかたの話。インドの国の話。日本の話。リシケシの話。驚いたことにそこに来た一人はJTBの社員として日本に住んでいた。日本の駅の名前を沿線の順に俺に言う。妙な親近感が急に湧いてきた。その後インドに戻りヨガの修行をして講師となった。レストランで座っている間も姿勢は綺麗だった。直線と曲線が共存する姿。話した時間は短かった。しかし、この地に訪れてよかったと思い知らされる。

大自然と共に生きるリシケシ。そこに生きる人達。そこへ訪れる人達。また朝日は昇り夕陽が沈む。何も変わらない。変わるのは人間の気持ちと行動だけ。

リシケシを後にしネパールへ向かう経由のためにデリーへ向かう。またデリーかと少し憂鬱になりながらTHCを枕に目を閉じる。さまざまな思いと出会いが脳内を駆け巡る。夢のようなインドの旅の中で夢に落ちる。目が覚めればまた第五幕へ向けてステージは進む。

インド vol.3

デリーからリシケシへ向かう。その道中にももちろん始まりからストーリーは平凡には進んでくれない。

駅からバスターミナルへ向かうたった600mほどの距離。その間を、自転車で客を乗せて走るリキシャというものに乗った。しかし、なぜか運転手はバスターミナルとは違う方向へ進む。「方向が違う」と言うが、「お前の乗るバスはこっちで一回チケットを買わなければならない」と言い張る。「おかしいから降りる」と降りようとするが、「こっちであってるんだもうすこしで着く」と言って回り出した車輪を止めようとはしない。「俺は知ってるんだ、バス停はあっちでこの方向にバス停は無い」と再び降りようとするが、「俺を信じてくれ、こっちにバスのチケット売り場があるんだ」と。

たどり着くとそこにやはりバス停はなくあるのはいかにも怪しいツアーチケット販売事務所。看板にはバスチケット、飛行機チケット、タクシー手配などの文字が書かれている。中はデスクと椅子があるだけのインドにしては小綺麗な狭いオフィス。このバスに乗りたいと時間と目的地とバスの車種の書いたメモを見せると「それだと1000ルピーだ」と言われる。インターネット調べた公式ページの料金は600ルピー程。時刻表や案内のカタログなどなくただただ口頭で言われるだけ。こうなるとわかっていたのだがなぜか途中からこの光景を味わいたいと思い始めていた自分がいた。これがインドなのだ、デリーなのだと言わんばかりの一連の流れ。その事務所の前には俺を乗せた運転手のような男達がリキシャやトゥクトゥクと共にタムロする。全員が詐欺師に見える。この街は嘘でできているんではないかとも思える。

再びバスターミナルへ向かい、バス停で直接チケットを買う。むしろチケットは買う必要はなく乗ってから払っても大丈夫だと乗ってからわかる。しかし、乗りたかった少しグレードの高いバスは入ってしまった。仕方なくローカルバスでリシケシへ。7時間かかると聞き不安になるがそれに乗るしかない。

しかし、人生とはまさに巡り合わせだと思わされる。横に乗り合わせたインド人の男がまた俺にインドを味わわせてくれた。今回も嘘ばかりかと思ったが今度は助けてくれた。捨てるインド人あれば拾うインド人あり。バスの添乗員にリシケシまでのバス代を払うがお釣りはくれない。ヒンドゥー語で説明されるがわかるはずもなくお釣りの値段が書いた紙を渡される。横の男が「本当はその場でお釣りをもらえるまで要求しなければいけないが、今回はしっかり払ってもらえるように俺が言っておいたから降りる時にしっかりまたお釣りをもらうんだぞ」と間を取り持って英語で説明してくれた。お釣りは50ルピーだけだった、それでもこの国の人たちにとってはあれば助かる。

マヌージと名乗るその男は3時間ぐらい走ったところへ向かっていた。その3時間でインドでのあれこれを教えて貰った。マヌージは男前であった。ジョニーデップそのものかと見間違うほど似ていた。なぜか俺の旅に興味を持ち友達や親戚とコンタクトを取り俺の旅の案内をそいつにしてもらえるように頼んでくれている。俺はまたインド人の嘘と騙しの螺旋に入り込んだかと思った。結局案内人に会うことは無くそれが嘘だったのかは結論は出なかったが少なくとも一人のインド人として男として俺に親切にしてくれたと感じた。

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家族のこと、カーストのこと、インド人のこと、観光客を騙すデリーの人たちのことなどを、荒れたオフロードを走るバスで共に体を揺らしながら話した。日本はどんな国なのかも話し、お互いの生まれ育った国の間違い探しを二人でしていた。バスの休憩所ではコーヒーとスナックとタバコをおごってくれた。ホストとしてゲストをおもてなすする。その心はインドにもやはりあるんだと嬉しく思った。

そのまま俺の目的地まで一緒に行ってやりたいが嫁と子供が寂しがるといけないのですまないがここで降りるよ、と名残惜しかったが別れた。マヌージとの出会いに感謝しながら無事目的地リシケシにたどり着く。ひとつの目的地に着くだけで一安心。やはり異国の地、特にインドでのひとつひとつは体験として多くのものがあると感じた。

バスターミナルからそのメインのところまでまたトゥクトゥクに乗らなければならない。いうまでも無くバスターミナルに群がるハイエナが押し寄せてくる。また値段交渉。本当なのか嘘なのかわからない。とりあえず一旦断ると値段を下げてくる。日本人の営業マンは一度インドで営業をしてみれば最高の実習になるんではないかとも思う。

聖気に満ち溢れる山に囲まれ、ガンジス川の上流が流れるリシケシ。そのガンジス川にかかる橋ラクシュマン・ジュラという橋のふもとに行けばいいとナヌージが教えてくれた。そこでゲストハウスを見つけなんとか寝床にありつけた。なんとそのゲストハウスのオーナー自身がヨガの講師だった。明日は念願のヨガの聖地でのヨガレッスン。嘘ともてなしの両面が第三幕では入り乱れた。

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