ベソブログ

日本人として本当に知って欲しい事、考えて欲しい事を伝えるブログ 歴史・政治・思想・音楽・芸術・文学・教育・経済・・・ジャンルなんて関係なし。作家BESOが日々感じ、考える日本人に伝えたい事を伝える。やってるかやってないかはバイブス次第

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数字vol.3 〜宇宙とヒモ理論〜

物の数を考え、目に見えない物の数を数える。その限りない探究心の現代の先端はどこなのか?そしてその真の目的や使命は何なのか。

数字シリーズで1番言いたかったのは(もちろん幾何学の数字や周波数も言いたかったけど)宇宙の仕組み。そしてヒモ理論。

「宇宙とは数字で出来ている」という言葉がある。天体の配置、距離感からそれぞれ惑星・衛星の大きさまで緻密に計算され回転しながら成り立っている。人間がどれだけ考え抜いても出し尽くせないぐらい緻密に。

宇宙に限らず、黄金比である自然や動植物も数字でできているとも言われている。種の大きさや中身から人間の臓器の内部まで。つまりどれだけ数字が嫌いで数学が苦手でもこの世の全ては数字で成り立っている事には逆らえない。

尊敬するマッドサイエンティスト、ニコラ・テスラがほんまか嘘か言ったとされる言葉。「If want to find the secrets of the universe, think in terms of energy, frequency and vibration.」(宇宙の秘密を知りたければエネルギー、周波数そして振動(波動)について考えよ)これが頭から離れない。

ニコラテスラについてはこの記事を ニコラ・テスラ

まさしく目に見えない、捉えきれない物の究極。それを考えるときはこれらの数字で考えろと解釈できる。

学校の数学の授業が嫌い。そんな小さな概念では無くもっともっと壮大でマクロな視点での話。

宇宙について勉強して研究して何の役に立つのか?

今の世の中を生き抜くのは大変で日々の生活を送るのに必死になる。娯楽と言えばしょうもないテレビのバラエティやゲーム。しかし、本当は人々をこういった数字の秘密や宇宙の法則から目をそらさせ意識を遠ざけられているとすればどうだろう?これを考える事で生活が豊かになるかどうかはわからない。もちろん人それぞれの豊かさもそれぞれ。バラエティやゲームが死ぬほど好きでそれが人生の本当の幸せと言うのであればいいと思う。

自然を壊し調和を乱す人間が地球と調和し、自然を守っていくという事を考えると数字について考えなければならなくなってくるはずである。自然破壊も地球環境も自分には関係無い。という人にはどうでもいい事だろう。だがもし全員がこう思うと地球と宇宙はどうなってしまうのだろう?広い宇宙なのだから地球なんて無くなっても。と考えているのだろうか?紛れもなく地球があって今の宇宙は構成されている。世の中に無駄なものなど無い。

そんな大きなテーマとして考えるのはぼんやりしすぎるのでもう少し身近に考えてみる。これまでの偉人の心をことごとく鷲掴みにしてきた宇宙と数字。その理由や正体を垣間見るぐらいは我々凡人にも楽しみの一つとしておもしろんじゃないだろうか?

宇宙を解明する仮説として最近注目されているのがヒモ理論(弦理論)。さらにそれを発展させた超ヒモ理論(超弦理論)。明確にこの話をすると理解するまでに膨大な時間がいるため端的に。

これまで物を構成している物質は極限に小さな粒で粒子だと考えられていた。地球上のモノも宇宙空間のモノも。しかしそれでは説明のつかない現象が数多くある。そこで、粒子では無くヒモ状の物質では無いかと考えられた。こう考えると筋が通る説明ができるようになることが増えた。

世紀の大発見かと思われたが欠点もあった。ヒモ理論を進めると計算上5通りのヒモ理論が存在してしまう事になるのだ。それを更に進化させた超ヒモ理論というものが昨今の科学者の中で囁かれている。もしこの超ヒモ理論が完成されれば大幅に宇宙の法則に近づくと言われている。

科学において最大の発明は動きや物が構成されている原理を説明するという事。有名な話としてニュートンの万有引力の法則、ガリレオの地動説。科学史に残された数々の研究や定説は偉大な科学者たちによって発表され、また覆されてきた。

様々な動きや物の性質に筋の通る説明が数多く発表されてきた結果として現代では、物の動きは大きく分けて4つの力によって動いていてる。単純に4つと言えばただの4つだけかと少なく思うが、この4つになったのも考えられないくらい長い時間を要し、多くの科学者が頭が爆発しそうになりながら解明してきた。電磁気力、強い力、弱い力、重力。この4つが一つの力としてまとめられた〇〇力というものになった時、全てのモノの動きが証明され科学は究極の存在になる。その物の動きの性質を調べるために構成されている中身がヒモ状では無いかと考えられている。

かの有名な天才、アインシュタインでさえは2つの力を1つにまとめるので生涯を終えた。

相対性理論という新たな仮説を立て見事に科学を発展させた。その根幹は「光よりも早く動く物質は存在しない。」「光は波と粒子の2つの性質を持つ。」etc・・・。こういった多くの研究が次々発表された。

そして特殊相対性理論では、今まで別個の力と考えられていた電気の力(電力)と磁場の力(磁力)を互いに関係し合う一つの力に統合させる事に成功した。そうして電磁気力という考え方が新たに生まれた。つまり5つの力を4つの力にすることに成功した。

このように別々の力を一つの理論にまとめるには並々ならぬ想像力と方程式の組み立てが必要であると思われる。アインシュタインが天才と呼ばれる由縁の一つである。

しかし、宇宙は広い。アインシュタインが夢半ば到達することの出来なかった境地。全ての力の統合。こう考えただけでも先が果てしなく長いのは我々一般人にも推測がつくのではないだろうか?

宇宙の代表的な謎、ブラックホール。それを説明しようとすると相対性理論も破綻してしまう。こういった問題に次々仮説が生まれ証明され科学は発達している。

科学の難しい公式を解くのは科学者に任せるとしよう。そうすれば我々は何をするべきなのだろうか?指をくわえて科学者の解を待ち続けるだけなのだろうか?

そうではなく今度は我々がその解を元に新たな生き方を実践していく番だと思う。儚くも科学の進歩と戦争は切っても切れない関係にある。飛行機と戦闘機。原発と原爆。情報傍受とインターネット。おそらくは人間が人間である以上戦争は無くならない。戦争が無くなると人間は人間の存在は超えた何かに生まれ変わると思う。犬が吠えるが如く人間は戦争をする。

科学者で無い人たちはその科学者の紐解いてくれた原理を、いかに生活に組み込むかを考えるのが仕事であるように思う。その多くは家電製品に活かされ一般人の手元に渡る。しかしそこには落とし穴もある。便利という豊かさの裏に身体という宇宙に悪影響を与える。それに気付き改良するための案を出すのが一般人の勤めでは無いかと思う。

宇宙を含む自然と調和し、豊かな地球を守っていかなければならない人間。環境に従い種を残すだけが人間の使命では無い。その与えられた頭脳と自由に使える手足は、地球環境を整え他の種も守っていく為に与えられたのだと思う。その為にも、また自分の人生の豊かさを追い求める為にも自分の体を含めた宇宙や自然を理解するツールとしての数字を見直せばおもしろい日々の生活になるのではないかと思う。

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数字Vol.2 〜目に見えない数字〜

目に見えない数字とは?

目で確認しきれない程大きいまたは小さい、そもそも人間の視覚では捉えきれない存在も数字によって成り立っているのという事。

例えば、電気・空気・電圧・空気圧。このように「気」がつく言葉や「圧」がつく言葉は基本的に目には見えない。

また、電子や分子など「子」がつく言葉は小さ過ぎて目に見えない。

逆に大き過ぎるものは天体や宇宙など人間が自由に調べることができない程大きい存在。

そういったものを人間が理解する為に今までの多くの科学者・数学者が人生をかけて様々な研究をして多くの公式や定理を生み出してきた。そしてどのように数字で成り立っているのかを解明してきた。

 数字Vol.1でも書いたようにそれらが実社会で数限りなく役立っている。

目に見えないものが実社会に役立っているものとしては「電気」「インターネット」「ガス」が1番わかりやすいかもしれない。

電気が発電所で生み出され各家庭や現場に届けられる。発電には火力水力原子力など様々な方法がありその全てに数字が関わっている。何かを変換するには必ず数字が出てくるのかもしれない。

その過程において電線や送受信機には様々な数式や定理が組み込まれている。

多くの公式や定理を編み出してきた科学の偉人たちだが、まだまだ科学者の頭を悩ましている存在が多くある。むしろ理解しきれていない分野の方が多いとも言われている。

代表格が「宇宙」。他にも「脳内」ひいては動植物の内部はまだまだ分かっていなことが無数にある。身近なものでいえば「音」もまだまだ分かっていない。全てを理解するのは不可能なのかもしれないが、ただ目の前に分からない事があると理解しようとするのが人間の本能なのかもしれない。

少し話は変わるが、世の中には天才と言われる人たちがいる。

各分野において他の人には真似の出来ないような事を自然体にしてしまう人達。

その天才を数字という観点から探ってみると非常に面白い結果が返ってくる。最近では音の正体が空気の振動という事が分かってきている。ギターやバイオリンの弦を弾くと振動が生まれ、その振動が空気を伝わり耳の鼓膜に訴えかけ、音楽として脳が認識する。それが判明し逆にどのように楽器や観客を配置するかという事を考えてコンサートが開かれていたりもする。ピアノがいつも客席に右を向けているのは、鍵盤を弾くとその振動が響板から抜けていくのは右側だからというのもこういった理由と言われている。

山下達郎という一人の天才もそのあたりを数字ではなく感覚として分かっており、コンサートの質に人一倍こだわりを持っているが故に大きな会場でのコンサートは基本的にNG。音がどこまでならよく聞こえるという事を感覚的に知っているようだ。

そして音楽史としても最高峰の天才モーツァルト。彼の作曲した曲は人を癒したり集中力を高める効果があると言われている。その原因を現代の科学者が調べると答えは周波数ではないかと言われている。人の感情に大きな影響を与える脳波。その脳波がα波に成り易いと言われる周波数がモーツァルトの曲にはある。

推測でしかないが今から1700年代後半に活躍したモーツァルトは周波数や脳波の研究などしていなかっただろう。しかし現代の機器で曲を計測すると不思議な事に素晴らしい程人が集中しながらリラックス出来る脳波が出る曲に仕上がっている。幼い頃から作曲の神童とされていたモーツァルトの脳内にはα波のメロディーが溢れていたのかもしれない。

このように目に見えない存在を数字で考えるとおもしろい結果がまだまだ他にも沢山ある。

次回の数字3では科学者の最終目標である全ての物質の根源「量子」に迫ってみる。

物体がいかに構成され存在しているのか、地球はどのように成り立っているのか、究極のテーマ生命はどこからやってきたのか。そして全ての科学者を虜にする宇宙。

これらの謎を解明しようと必ず出てくる数字。もちろん目には見えないため想像上、仮定として数字。もしこの仮定が正しければと見える答え。その仮定が正しいと証明する実験。

反分子や反重力など神の領域に徐々に近付きつつある人類の科学力。果たしてそれを手にする資格があるのか?もしくは使いこなす器を持っているのか?

答えは神ではなく数字が知っているのかも知れない。
 

数字vol.1 〜物の数〜

普段から何気なく使う数字。一度この「数字」というものを考えてみると、あまりの奥深さに驚愕する。

そもそも一般的に使われている数字は、あくまでも10進法という10溜まると次の位に行くという一つの使われ方。コンピューターや電子機器のベースになる2進法や時計の読み方の12進法など、いろいろな使われ方がある中の一つ。

数字という概念が生まれたのは、現代からすると遥か何万年前とも言われている。最初は、石に一本の線と並べていき数を数える、というような事から始まったのが遺跡から推測されている。

紀元前2万年前の遺跡においては、すでに素数や掛け算などの数字が見られている。古代において驚異的な発展として知られる古代インド数学は紀元前3000年頃、驚くほど精密な数学的比率でレンガを作り道を完全に近い直角で、街や建物を建設していた。

数学は主にモノヅクリにおいて発展を遂げたように思う。何かを作るときに考えるのは利便性、美しさ、継続性。人が住む家を建てる時は壊れないように設計する。人が身につけるモノや服を作る時は美しい形を生み出す。人が道具として使うモノは長く使えるように、また使いやすい形を求める。

その結果見つけられたのが黄金比。モノの長さにはこれらの要素を完璧にする最適な長さがある事に気づいた。建物が風や地震に負けず立ち続ける、見る者を惚れさせる美しさ、狙った以上に道具が道具として機能を果たす。そんな比率というのを見つけた。

図らずも自然界は全て黄金比でできていると言われている。見た目に美しい花や樹木。太陽と地球と月の距離。人間の体も限りなく黄金比に近い。故に全ての生き物は美しいと言う者もいる。

そう考えるとその人の顔が美しい、醜い等はなんと主観的で傲慢な意見か揶揄されてもいる。

そして、多くの物が生まれた先にその物自体の数という意味で数字が発展した。

単純に1個2個・・・という考え方からその分配法や将来への保存に割り算掛け算が発展した。

いろんな物を数えるようになった。単純に目の前にあるリンゴの数。見えている美しくも強くそびえ立つ木の数。光り輝く星の数。

その果てに目に見えない物を数えるようになっていった。計算によって。

目に見えるものの数は見てわかるのですぐに解が出る。今でも議論が続いている様々な方程式や理論の多くは目に見えないものの数がほとんど。これをvol.2から見ていこうと思う。

四則演算

足し算と引き算。

学校へ行けば必ず教えられる計算と数学。その基礎となるのが、四則演算。足す、引く、掛ける、割る。

世の中にはああ言えばこう言う人たちがいる。定義に反抗したり、駄々をこねたり。合ってるか間違っているかというのは本当にどうでもいいことなのかもしれない。なぜなら、合ってるか合ってないかは自分が決めることだから。その内容に筋が通っているかどうかが重要な問題。そう考えると四則演算はかなりの部分で筋が通っている。という実績がある。

今回は、1+1は2ではなく、1−1は0では無いと言い張る人たちの話。

もちろん物質的に1つのリンゴがあって、それを食べてしまえば目の前にリンゴは無くなりリンゴの数は0になる。誰かにリンゴをあげようとしてもそこにリンゴは0個なのであげる事はできない。

ringo.jpg


この計算は四則演算の定義通り。

だが、人生の経験や考え方はこの四則演算通りに行かないという話。

リンゴは目の前から無くなったが、その中身や全ては体の中に入り、自分に取り込まれた。つまり定義通りに行くと自分という1つの個体にリンゴという個体が+1される。つまり2になるはずである。しかし実際にそこにあるのはリンゴを足したはずの1という自分の個体1しかない。つまり1+1は1となる。

こういった問題が四則演算の枠外にあるという考え方を人生に持つべきだという人たちがいる。

そして、そこからさらに人生は足し算だ!いや引き算だ!むしろ掛け算だ!そもそも割り算だ!

という人たちに別れていく。結論から言うと最初に言った通り、自分の中で筋が通っていれば合っていようが間違っていようが何も関係無い。大事なのは自分の中に四則演算を超えたルールを自分で持つということではないだろうか。四則演算が全てでは無いと理解することではないかと。

その中でBESOが最近思う計算を考えて見る。

足し算の不思議。

自分という1の個体には様々な情報や知識や経験がある。仮に全ての知識を得られたゼウスになったとしよう。何を聞かれても、どんな疑問を持ちかけられてもすぐに答えを導き出せるようになると思う。

しかし、その場合ですら自分は1であると思う。生まれたばかりの知識のほとんど無い赤ちゃんも個体としては1。膨大な知識の詰まった博学な老人も個体としては1。ゼウスも個体としては1。つまり、どんなに経験を積もうが知識を詰めようがどこまでいっても自分は1である。知識を1つ1つ数えていけば、四則演算では10にも100にも10000にもなるはず。ひとつひとつの知識が1と数えられるならば。だからリンゴを食べても2にはならず1のままであるという事。


それは個体としてのという意味で、体は1つで、あるとするならば(あると思っているが)魂も1つという事。その1つの個体の質がそれぞれで変わるという意味。


引き算のススメ

1つの個体としての人間1人が、1日に考えられる労力を1だとしよう。朝起きて仕事や学校の事を考え、家族の事を考え、自分の将来や生活にその労力が注がれる。大企業の社長やCEOであっても赤ちゃんでも1を超える事は出来ない。

要領の良い人はその1の使い方の質がいいのだと思う。その質の使い方によって1を100にし、1000にするのだとBESOは考える。「あの社長はすごいな、会社を3つも4つもやって全部大きくしてる。」それはその人の労力が1を超えてるんではなくてその1の質を100やそれ以上にする方法を知っているからだと思う。それは要領の良さであり、容量の大きさではない。

四則演算では労力1を100にするには1に100を掛けなくてはいけない。しかし人生の四則演算は定義通りでは無い。1を100にする為に引き算を使うのである。


仮に家を3つ持ってたとする。1つ目は自分が住む家、2つ目は貸して家賃収入にする家、3つ目は見晴らしの良い避暑地としての別荘。

自分の住む1つの家しか持っていない人からすると考えなくてはならない労力は単純に3倍になる。これは四則演算の掛け算。家賃の問題、固定資産税の問題、光熱費、その他諸々の維持費。貸す家であれば借主を探すという労力なんかも含まれる。別荘であれば、夏場以外の管理人を雇ったり。

ここで、引き算がその人の要領を良さを試す。自分に本当に必要かどうかを問いかける。1つ目の家は本当に必要か?ほとんどの人は要る。しかし、事務所で寝泊まりすれば家は要らないという人は1つ目の家すら要らない。2つ目の家賃収入の家は必要か?3つ目の別荘は必要か?

その判断の基準は自分の幸せとはという定義によって犀が振られるべきである。

家賃収入で自分の好きなことを突き詰めて、夏場には避暑地で自分の生活を快適に過ごす。というライフスタイルこそが自分の幸せであるならそれに1しか無い労力を注ぐべきである。

しかし、そのライフスタイルが自分で見つけた、自分が本当に欲しているものでなく、なんとなく周りの話を聞いたり憧れてやっていることならそれを引くべきである。

その選択は単純に持つか、捨てるかという判断。

この人が仮に一生サーフィンをして人生を過ごしたいと本当に思っているならこのライフスタイルはなかなか理想なものだと思う。家賃収入で稼ぎ、他の人が働いている時間にサーフィンをする。夏場は波のスポットに近い場所に別荘を持ち、すぐに波に乗れる環境を得る。空いている時間に不動産などの仕事する。限りなく理想のライフスタイルだと思う。

しかし、単にお金が欲しかったり、別荘を持ちたいというのであれば、労力の無駄遣いに終わる。1しか無い労力を。

つまり要領の良さとは多くの事を一度にするのではなく、自分の人生を幸せにする為に、豊かにする為に、要らないもの、要るものを見極めるセンスが大事であるということ。

それが手元にあって余計な労力だと判断した場合捨てる勇気のある人が、要領のいい人になっていく。その場合、持っている家は単純に3ー2で1になるが、労力の質があがる。家賃収入や別荘での暮らしは無くなるが。

一例に家の話を挙げたが、これが生活にある全ての事に言える。睡眠、仕事、学校、遊び、その全て。普段はあまり考え無い。が、何かを目指し始めた人はこれをよく考える。なぜなら時間が、労力が足りなくなるから。

いついつまでにこれを作らなければなら無い。これを提出しなければなら無い。となれば否が応でも今すべき事を考える。その際に何かを自分である1から引くという事をしなければ労力1で追いつかな無くなる。寝る暇がなくなるのか、遊んでる暇がなくなるのか、学校に行ってる時間がなくなるのか。

すると、1でこれをするならこれは自分には要らない、これも要らない、あれも要らない。要るのはこれだけ。という考え方になる。そうすれば自分の容量が増えるのではなく、自分のやるべき事でない事が減る。その方法として、従業員に任せるのか、それ自体をしないのか、それとも作業効率をあげる方法を見つけるのか、もしくはその事柄自体を捨ててしまうのか。

その習慣がいろんなところに派生していく。

その究極が食べ物では無いかと思う。米を食べる、野菜を食べる、肉を食べる、水を飲む、お酒を飲む。

体が求めているから体に入れるのか、意識が求めているから体に入れるのか。そして大事なのは体に入れた結果どうなるのか。

もちろん全てを捨て去る事は出来無い。神や仏以外には。なぜなら人間だから。個体としての1があるから。全てを捨て去ると0になってしまう。1があるが故にいろいろな感情が湧き、意識がいろいろなところへ向く。

その1を求めて、引き算を限りなくする事で1が100にも1000にもなるのでは無いかと思う。

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