ベソブログ

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インド vol.4

朝日と共に目覚める。昇るその光を見たかったが山あいの谷にある街のため地平線からご来光をみることは叶わなかった。しかし、その始まりの空気を感じようと朝からガンガーのそばに一日を始める人が多くいた。とりあえずぐるっと一回り歩く。リシケシという街を歩く。自然と共に生きる街という表現がこれほどまでにぴったりと合う街もそう他にない気がする。牛や馬は当然ながら、サルやロバなども自然にいる。もちろんデリーなどの都市部にもいるが、山に生きる彼らの横に人間もいるという形。

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ニルバーナヨガというヨガを学ぶ。ニルバーナとは日本語で言う涅槃。悟りの境地にたどり着く。人間には限りない欲望がとめどなく溢れる。その欲望を捨て去り今世を無に生きる。生きるとは無であり、無とは生である。というような矛盾を目指す話。

ヨガのポーズといえばすごいポーズを思い描く。しかしそれはあくまでもいろいろな形を追い求め続けた結果。本質的にはその個人個人が自分自身と向き合うためであるためこのポーズがいいというものは無い。自分の体が求めるポーズを追い求めるのがヨガである。その自分が求めるものを感じることができるように講師が一つ一つを教えてくれる。ゆえに最終的な講師は自分自身である。

ビギナークラスとして初歩の基本を学んだ。簡単なポーズと呼吸法。思考から欲望を流しだす方法を教わる。過激なポーズなどはあくまでもその基本の延長。大事なのは自分の中にあると。そしてまわりの自然や人、地球や宇宙と調和するということ。人間とは地球に生きるただの一生物である。その存在を認識し人生を歩む。

ご飯を食べる。異国でのご飯もまた新鮮である。また出会いもあった。客引きの若い男に導かれレストランへ。そこでその客引きのソルティーとまたいろいろな話をする。21歳の彼は言った。「明日死ぬかもしれないんだぜ。やりたいことを今しておかないといつするんだよ」。夢はあるのかと聞くと「俺もいつかこんなレストランをやりたいんだ」「場所はここではなく生まれ育ったここに似た自然の溢れる街で」。たばこや煙をふかし、ガンガーと山を眺める。ここで一つのヒンドゥー語を教わった。「シャンティー」という幸せな言葉。「ゆっくりと落ちついて」「気楽にいこうよ大丈夫だから」というような意味である。いろいろなことを心配に思い大丈夫かと問いかかる俺に彼は繰り返し「シャンティー、シャンティー、シャンティー」と言った。

宿に戻るとオーナーである講師は自身でヨガをしていた。しかも俺に教えてくれた基本のポーズを繰り返して。基本が大事という言葉を何気ない瞬間に言葉でなく行動で見してくれた。うれしかった。彼の言葉に嘘は何も無かった。沈黙は金であった。

夜になると多くの人はやることを終える。店も閉まり始めご飯屋だけが灯りを灯す。またソルティーの元へ向かう。するとまた別のインド人を呼んでくれたいた。仲良くなった日本人がいるから一緒に飯を食おうと。そこでまたいろんな話が入り乱れる。人生の生きかたの話。インドの国の話。日本の話。リシケシの話。驚いたことにそこに来た一人はJTBの社員として日本に住んでいた。日本の駅の名前を沿線の順に俺に言う。妙な親近感が急に湧いてきた。その後インドに戻りヨガの修行をして講師となった。レストランで座っている間も姿勢は綺麗だった。直線と曲線が共存する姿。話した時間は短かった。しかし、この地に訪れてよかったと思い知らされる。

大自然と共に生きるリシケシ。そこに生きる人達。そこへ訪れる人達。また朝日は昇り夕陽が沈む。何も変わらない。変わるのは人間の気持ちと行動だけ。

リシケシを後にしネパールへ向かう経由のためにデリーへ向かう。またデリーかと少し憂鬱になりながらTHCを枕に目を閉じる。さまざまな思いと出会いが脳内を駆け巡る。夢のようなインドの旅の中で夢に落ちる。目が覚めればまた第五幕へ向けてステージは進む。

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