ベソブログ

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外からの力

外からの力

原動力とは自分の中から得るものであるかもしれないがその元には外からの影響を大きく「受ける」のではないか。そしてそれを形に変えて「放つ」という事がこの世で起きている事の最小の単位で、それの繰り返しではないだろうか?

雲の水は冷やされるという原動力で粒として雨に。雨は高い所から低い所へ行き川へ。川は川と肩を組み河へ。河はその勢いから終着点を求め母なる海へ帰る。海は地球の温かみに包まれ水蒸気となる。水蒸気は冷やされ雲になる。

外からの(主に自然の)パワーやフォースに逆らわないのが自然。気候が変わりその土地に水が行かなくなければ川は痩せ河にはならず、砂が友を呼び始める。だからすべての自然現象には自然な理由が整然と現れる。

人間の場合は自然のパワーやフォースを受け入れながらも無謀にも逆らう。その両面こそが人間であり人間たる理由なのかもしれない。水を求め雨の多い地域に定住する。氾濫する河を治めようと堤を築く。

人間はオートマン(自動操縦)である。と言い「放った」科学者がいる。あらゆる事を「受け」行動として「放っ」ていると。その「受ける」外からの力にどれだけ目を向けるか。その外からの力はもちろん人によって違う。だから人には人それぞれの道や航路が人生として繰り広げられる。

水の場合は外からの力に形をトランスフォームする。水滴に、空気に、氷に。動物は形を変えない(長い目で見れば変わるが)代わりに行動を変える。外からの力を受ける専門の器官があるからなのかもしれない。光を目で「見て」音を耳で「聞く」。そしてその受けた力を、形に変え放つ自由な体を持っている。それが腕であり、足であり、体そのものである。その間に入り「受ける」と「放つ」とのバランスを絶妙に保つ特別なものを持っている。それが「脳」。

自然そのものである五行や植物の場合は「受けた」力をそのまま「放つ」。しかし動物は「受けて」から「放つ」までに脳で一旦精査する。そして時間をかけながら「放つ」この時間こそが脳の仕事。

雨が降ると、水は川になるという選択肢で受けた力を「放つ」。植物は一定量吸収し成長して「放つ」。人間は貯水し、飲み水に使ったり、植物を育てたり、洗い物などの生活用水に、と様々な形で「放つ」。

俗に言う単細胞と多細胞の違い。その中でどう生き、どう「受けた」力を「放つ」か。

魚はどんな力を「受け」ようとも泳ぐという方法でしか「放て」ない。もしくは卵で子孫を残すという方法でしか。そう考えると人間は限りなく無限に「放つ」ことができる。

そして「受ける」能力も限りなく広くできる。集音器に耳を傾け聞くことのできる音域を広げる。望遠鏡を覗き遥か宇宙を見る。

しかし、それはあくまでも数値としてデータとして「受ける」。だけである。感じていない。人間以外の動植物のように体で感じているわけではない。「受ける」能力の広げ方としてこの「感じる」能力を高めるという方法もあるのに。今まで見えなかったものが見えるように、今まで聞こえなかったものが聞こえるようになったり、今まで味わえなかった違いを味わえるようになったり。

どのように「放つ」かを広げる事も大事だが、そもそもどのように「受ける」ように自分がなるかを考えるかも大事である。

同じニュースを聞いても、同じ事件が起きても「受ける」人によって考え方・行動が違う。動植物はの場合はほぼ同じ行動をとって「放つ」。その行動が違う理由は「受ける」方法や「感じる」感覚が人それぞれ違うからであると思う。その背景にはどのように育ってきたか。ひとくくりに言うと教育である。だから教育が大事なのだ。

動物の場合、「放つ」方法を間違えれば即、死に直結する。天敵が現れるという事件を「受ければ」すぐに逃げるという行動を「放つ」。そうするしか生き延びるには選択肢がない。

人間には天敵が限りなくいなくなった。「放つ」方法が増えるに従って、「受ける」ことによって「感じる」感覚も多様になる。ライオンを見ても逃げるだけではなくなった。死への恐怖という感覚だけが支配する世界ではなくなった。

もちろん多くの人間は逃げる。しかし銃を作りライオンを殺す、火を起こし追い払う、音を立て脅かすなど逃げないという方法で「放つ」事ができる。

その「放つ」方法が間違っていたとしても人間の場合死ぬ事が減った。本来そうすべきでなくても。それによってその「放つ」方法がいいことであると錯覚することも多い。

自然はサイクル。人間も本来サイクルのはず。サイクルが上手く回るように外からの力が人間に加えられている。しかし、「受ける」方法と「放つ」方法を間違うとそのサイクルの歯車が狂い始める。雲が雨にならず、川がなくなり、河が出来ず、海が干上がってしまう。

人間はその結果が出るまでわからない程バカなのか?そんなはずは無いと信じたい。事実警鐘を鳴らしてくれている人たちが多くいる。環境問題、人口問題、さまざまな問題が爆発する前に。河がなくなる前に。

人間の進み方。進歩・進化。選択肢が多いという事は進み方も多いという事。技術の発展で何でもできる時代になった。だからこそ自分が何をして「放つ」かが重要になってくる。その「放つ」事を考えるとどう物事を「受ける」かを考える事が大切になってくるということは必然。

物事をどう「受ける」か、そしてそれをどう「放つ」かは、限りなく多くある選択肢の中でどれを自分が選びたいかではないかと思う。今まで「受けて」きたニュースや事件を違う角度から「感じて」みてはどうだろうか?

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